気は心

先日、懇意にしているある社長さんと夕食をご一緒させていただきました。
お酒も入って、ちょっと愚痴タイム。

「うちの社員は、『気は心』ということを分かっていない」と社長。
「ほう。どういうことですか?」と私。

「お客さまの所に行ったら、手土産のひとつも持っていけば、たったそれだけで対応が良くなるもの。
営業マンにその話をしたら、営業マンは何て言ったと思いますか?」
「さて?」

「それは経費で落としても良いのですか? だって。もうがっかり。
気は心を分かっていない。ちょっとお客さまに手土産を持って行けばいいことだ。
あとでその領収書を持ってきたら、経費にしたらいい。そんな金額は知れている。
しかしうちの営業マンはその前の段階でアウト。気持ちとか気遣いというものを分かっていない」

その気持ち、よく分かります。
私も若い時、営業マンでした。よく工事現場に行くことがあり、そこの現場監督さんに、缶ジュースを人数分用意して持って行ったものです。
なにせ、若造が現場に色々お願いしなければなりません。監督さんに気持ちよく現場を回してもらうには、ちょっとした気遣いが必要です。
まあ500円くらいで仕事がスムーズに回るなら安いもんです。あとで経費精算もさせてもらいましたが。

『気は心』とは、量や額がわずかであったとしても、本人の真心の一端をあらわすものであるということ。また、気の持ちようで心が落ち着くということ(出典:故事ことわざ辞典)。
ちょっとした気遣いで、仕事や人間関係が円滑に行くものです。

「社長の気持ちはよく分かります。最近の若い人は、気は心という言葉そのものを知らないのかも。
だとすれば、そういう気遣いも丁寧に指導しなければならないのかも知れません。
『気は心』を教えるということ自体、何かしっくりこない気もしますが」

宴もたけなわでお開き。
あらためて『気は心』を噛みしめた夜でした。